正月四日の「なます」
高校時代の同級生Aは
身長170㎝超の色白で痩身
サラサラ髪の美男子で
成績も学年360人中
上位10位以内の常連だった
Aが母子家庭だったと知ったのは
卒業後に参加したクラス会での
些細な会話だった
バツイチで子育てという方は
今では珍しくは無いが
40年ほど前はそうではなかった
(と記憶している)
看護士の有資格者だったAの母親は
早朝から夜遅くまで働きながら
一人っ子のAを育てた
当時は今ほど冷凍食品は美味しくもなく
弁当箱には「焦げ目の目立つ甘い卵焼き」と
「イシイのハンバーグかミートボール」が
常連だった
栄養バランスを考え
野菜もたくさん食べないといけないと
「なます」をよく作ってくれた
母親の作る「なます」は
酢が少し多めに入っていることが多く
一口食べると咽(むせ)た
「酢が多いよ」とAが文句を言うと
「お酢は身体にいいんだから文句を言わず食え!」と
毎回返り討ちにあった
でも次に作る時は
砂糖が少し多い「甘目のなます」が食卓に上った
三者面談の席で
Aは内心は進学を希望していたが
自分の置かれている家庭の財政状況を考え
高校卒業後は就職すると告げた
母親は目に涙を貯めながら猛反対し
「お金の工面は何とかするから
やりたいことがあるなら進学しろ」と云った
Aはアルバイトを掛け持ちしながら
勉学にも勤しみ
希望しいていた業界に就職した
社会人一年目の正月
公共交通機関で働くAは
正月休み返上の勤務だった
母親も
「もう子育ても終わったから」と
大晦日から三が日まで
勤務シフトを入れた
正月四日
親子二人で迎える少し遅めの新年
夜勤明けのAは
母親が大好物の「葛餅」を手土産に
昼少し前に帰宅すると
母親は台所で
新年の宴(うたげ)の準備をしていた
Aはシャワーを浴びると
脱衣場で着替え
相変わらずのサラサラ髪を
ドライヤーで乾かそうとした瞬間
「ドスン」と何かが倒れる大きな音がして
床が少し揺れた
「んっ?」
Aは母親に「母さん、どうした?」と声を掛けた
が
返事がない
Aはあわてて台所に向かうと
母親が倒れていた
病院へ搬送される救急車の中で
母親は逝った
その日の夜遅く
Aは棺に入った母親と帰宅した
台所には
作りかけの「紅白なます」が
ボウルに入っていた
Aは指でつまんで一口食べてみた
甘酢っぱい味が口内に広がり
母親の味がした